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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)7073号 判決 1976年4月19日

原告

久保田長一

<外五名>

右原告六名訴訟代理人弁護士

東城守一

外一三名

被告

日産自動車株式会社

右代表者代表取締役

川又克二

右訴訟代理人弁護士

橋本武人

外五名

主文

一  被告は、原告久保田長一、同久保田とよに対し、各金四五八万六、九四八円およびうち金四一七万六、九四八円に対する昭和四三年一〇月二三日から、うち金四一万円に対する同五一年四月二〇日から各支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告久保田長一、同久保田とよのその余の請求および原告東泰子、同久保田武万、同久保田理、同久保田和代の各請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用中、原告久保田長一、同久保田とよと被告間に生じた部分はこれを二分しその一を同原告両名の負担としその余を被告の負担とし、その余の原告らと被告間に生じた部分は全部同原告らの負担とする。

四  この判決は、原告久保田長一、同久保田とよ勝訴の部分にかぎり、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

1  被告は、原告久保田長一、同久保田とよに対し各金一、二二二万八、〇三九円、原告東泰子、同久保田武万、同久保田理、同久保田和代に対し各一〇〇万円およびこれらに対する昭和四三年一〇月二二日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  この判決は、第一項にかぎり、仮に執行することができる。

二、請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一、請求原因

1  労働契約の成立と内容

訴外亡久保田英男(昭和二四年七月五日生)は、同四三年三月茨城県立土浦工業高等学校を卒業後、直ちに自動車の製造販売等を業とする被告会社と労働契約を締結して入社し、右契約に従い、東京都北多摩郡村山町中藤六、〇〇〇番地所在の被告会社村山工場内の独身寮(村山寮)に居住して同工場第二製造部組立課に勤務し、トラツクの組立ライン(ベルトコンベア)の中を流れてくるフレーム(骨組)にエンジンを取り付けたり、エギゾースト(排気系統)関係やプロペラシヤフトの取付け等を担当する仕事に従事していた。

2  本件事故の発生

英男は、昭和四三年一〇月一九日ころから風邪気味であつたところ、同月二一日勤務中に倒れ、同月二三日午前七時ころ村山寮便所内で死亡しているところを発見された。死体検案の結果、死因は急性気管支肺炎と診断された。

3  被告会社の責任

被告会社は、次の理由により、本件事故によつて生じた損害を賠償する責任がある。

(一) 労働契約に基づく債務不履行責任

憲法は、二五条にいわゆる生存権を保障する旨規定し、右生存権を実質的に保障するため、賃金、就業時間等の勤労条件に関する基準は法律で定める旨規定している(二七条二項)。そして、昭和四七年法律五七号による改正前の労働基準法は、これを受けて種々の労働条件について規定しているが、その中で、使用者に対し、四二条は機械器具その他の設置等による危害を防止するために必要な措置を講ずる義務、四三条は労働者を就業させる建設物およびその付属建設物について労働者の健康、風紀および生命の保持に必要な措置を講ずる義務、五〇条は労働者に安全衛生教育を施す義務、五二条は雇傭時と定期に医師に労働者の健康診断をさせ、健康診断の結果に基づいて就業の場所または業務の転換、労働時間の短縮その他労働者の健康の保持に必要な措置を講ずる義務をそれぞれ規定している。

右規定を含めた労働基準法の各規定、同法の精神、同法の根源たる前記憲法の規定等に照らすと、使用者が労働契約上その使用する労働者の生命、身体の安全を保護し、健康を保持させるべく、労働条件、健康管理等に十分留意する義務を負うことは明らかであり、さらにこの法理は民法の雇傭契約についても妥当する。そして、苛酷な労働が特に若年労働者の健康に悪影響を及ぼすことは労働衛生学上明らかであるから、使用者はとりわけ若年労働者の安全保護に万全の措置を講ずる義務がある。

被告会社は、新規高卒者で未成年の英男を雇傭し、被告会社村山工場内の独身寮に居住させて同工場で稼働させ、しかも、英男が入社する直前の昭和四三年二月ころ、被告会社の責任者が新規採用者の父兄に対し「大事なお子様をお預りしますので、両親にご迷惑をおかけするようなことは絶対しません。」と誓約したのであるから、万全の措置を講じて英男が健康で安全に労働し生活できるように保護する義務があつた。それにもかかわらず、被告会社は右保護義務を懈怠し、その結果本件事故を発生させたのであるから、本件労働契約に基づく債務の不履行について責に任ずべきである。

以下これを詳述する。

(1) 苛酷な勤務を避け、十分な健康管理を行う義務

(イ) 被告会社の義務

被告会社は、労働者を健康で人間的な状態のもとに労働させ、深夜勤務等本来非人間的反生理的である苛酷な勤務を避けるべきであり、やむを得ず深夜勤務等苛酷な労働条件のもとで労働者を稼働させる場合には、労働者の十分な健康管理を行う義務がある。そして、特に深夜勤務の場合、昼間勤務の場合に比べて労働者、とりわけ若年労働者の健康に重大な害悪をもたらすことは労働衛生学上の常識であるから、深夜勤務の作業時間を短縮し、勤務後十分な休養を与え、また、仮眠室を設置し、常時体重測定を実施するなど、労働者の健康管理には万全の措置を講ずる必要がある。

(ロ) 村山工場における苛酷な労働の実態

しかし、被告会社は左記のとおり、利潤追求のみの目的で苛酷な労働条件のもとで労働者を稼働させ、かつ労働衛生学上当然必要とされる労働者の健康保持のための科学的対策は何も行わなかつた。

(a) 旧プリンス自動車工業株式会社村山工場においては、深夜勤務はやむを得ない場合にのみ行うなど労働者にとつて有利な労働条件が確保されていたが、昭和四一年八月旧プリンス自動車工業株式会社が被告会社に吸収合併され、右村山工場が被告会社村山工場として引き継がれて以後、同年七月のプレミアム制度(生産奨励金制度)の実施に伴つて能率向上運動を展開していた被告会社の労働条件がそのまま適用され、さらに同四二年二月ころから深夜勤務を含む二交替制勤務が全面的に導入され、労働時間の延長、作業密度の増加が図られ、英男が被告会社に入社した同四三年三月当時、同工場の労働者は苛酷な労働条件のもとに稼働させられていた。

(b) 即ち、労働時間は昼勤実働一日8.8時間(月曜日から金曜日までは残業二時間を含む実働九時間、土曜日は残業一時間を含む実働八時間)、夜勤実働一日8.5時間(月曜日から水曜日までは二時間の早出で実働九時間、木曜日から土曜日までは一時間の早出で実働八時間)の勤務体制が実施され、事実上、週五二時間制が実施されている(被告会社においては、就業規則上、夜勤始業は午後一〇時とされていたにもかかわらず、定時変更と称して前記の如く一時間ないし二時間の早出が強制され、実質的に定時の繰上げがなされている)。そして従業員の約三分の二が二交替制夜間勤務を強制されている。体日出勤は月一、二回あるのが普通であり、従業員の大多数は月平均五〇時間前後の時間外勤務を強いられており、中にはそれが七〇時間ないし八〇時間にわたる者もおり、その結果、昭和四二年の一人平均の時間外勤務時間は昭和四一年に比べ二一パーセント増となつている。

(c) また、前記プレミアム制度の実施に伴い、職場では各組毎に出勤率表、直接率表、工率表、ZDグラフが貼られ、組長がこれらに記入して労働者を競争させ、さらに、同種作業を一つの団体に行わせる団体責任体制をとつて労働者を相互に監視させている。そのうえ低賃金かつ固定給、変動給に区分された賃金体系のもとにおいて、労働者は健康を犠牲にしてまでも稼働することを余儀なくされている。

(d) 因に、自動車生産台数は昭和四二年一月に三、七〇〇台であつたのが同年一二月には一一、八〇〇台と3.2倍に激増したにもかかわらず、労働者数は右一年間にわずか1.4倍増加したにとどまるから、労働者一人当りの生産台数は一月の0.95台から一二月の2.05台へと2.2倍増加したことになる。また、前記プレミアム制度の実施に伴い、製造部門一人当りの生産台数は同年四月から一〇月までの半年間に1.4倍増加している。

(ハ) 村山工場における労働災害と定着率

(a) 前記合併後、村山工場においては、労働者は自動車製造の如き重労働の深夜勤務により肉体的精神的限界を超えた犠牲を強いられ、その結果労働災害が激増し、受傷者は殊に若年労働者に集中し、また、傷病の内容は消化器系、呼吸器系疾患が五〇パーセントを占めている。

(b) そして、昭和四二年九月から本件事故が発生した同四三年一〇月までの約一年間に、本件事故と類似の労働災害による死亡事故が発生した。即ち、第一に、勤続十数年の熟錬機械工が村山工場車体課の板金作業の応援に出され、慣れない作業と隔週の深夜勤務で健康を害し、自宅で風呂から出た直後に倒れ、一週間昏睡状態を続けたまま死亡し、第二に、村山工場に配置転換された季節工が風邪気味で薬を服用中であつたにもかかわらず出勤を強いられ、夜勤に出ようとして村山寮の玄関で倒れて五時間後に死亡し、第三に、一六才のアルバイト工が十分な安全教育を受けることなく危険なベルトコンベア作業に従事させられ、深夜勤務中ベルトコンベアにまきこまれて死亡した。

(c) このような苛酷な労働条件のもとで、労働者は退職によつてかろうじて生命の安全と健康を保持している。そのため、村山工場における労働者の定着率は極めて低い。

(ニ) 英男の健康破壊の経過

(a) 英男は、在学中家業の農業を手伝うため数日間休んだほかは殆んど無欠席であり、昭和四三年三月被告会社に入社後も無欠勤であつた。英男は、中学校二年生の時から柔道部に入部し、選手として郡大会に出場するなど健康な少年であつた。

(b) 英男は、昭和四三年三月二五日被告会社村山寮に入寮し、同日から同月三〇日まで被告会社の厚生センターで研修を受け、同月二七日の適性検査の結果村山工場第二製造部組立課に配属され、さらに同年四月二日から四日までの実習を終わつた後、直ちに現場勤務となり、翌週四月八日からは毎日一時間の残業を、四月一五日からは二時間の残業を、四月二二日からは深夜勤務を命ぜられた。以後、英男は、朝八時三〇分から夜六時三〇分までの二時間残業の昼勤と、夜八時から翌朝六時までの夜勤を一週間交替で行い、五月からは夏休みのあつた八月を除いて毎月四〇時間以上の残業を行い、特に九月は四八時間、死亡した一〇月は半月で二六時間の残業を行つていた。

(c) 英男は、入社以来初めて帰省した昭和四三年五月五日ないし七日ころには多少顔色が白くなつた程度で以前と同様に農業の手伝をするなど元気であつたが、同年七月二九日から八月四日までの夏休みに帰省したときは、痩せて青ざめた顔色をし、以前と異なり農業の手伝もせず、食欲も全くない様子で「入社時から二キログラム以上も体重が減つた。」といつていた。

(d) 原告久保田理が同年八月一一日上京の折、英男に会つたところ、英男は、夜勤明けで朝食をとつていなかつたにもかかわらず、「最近食欲がなく飯が食えない。」といつてコーラなどを飲むだけであり、「一週間おきの夜勤で遊ぶときもない。疲れてしかたがない。八月から仕事がタイヤの取付けにかわり、大変骨が折れる。」などともらしていた。

(e) 同原告が同年一〇月四日上京の折、再び英男に会つたところ、英男はさらに痩せ衰えて頬は落ち顔色も真青であつたので、同原告は夜勤を休むよう忠告したが、英男は「仕事だからしかたがない。」といつていた。

(f) 以上のように、英男は、村山工場での苛酷な労働を続けた結果健康を破壊され、本件事故発生の直前には完全に疲労、憔悴しきつていた。

(ホ) まとめ

被告会社は、前記(イ)の義務があるにもかかわらず同(ロ)のとおりこれを懈怠し、その結果、同(ニ)のとおり英男の健康を破壊して風邪に罹患させ、さらに後記(2)および(3)の各義務の懈怠と相俟つて本件事故を発生させたのであるから債務不履行責任を免れない。

(2) 疾病者に対し適切な措置を講ずる義務

(イ) 被告会社の義務

被告会社の履行補助者たる村山工場第二製造部組立課係長訴外吉沢元春および同課組長訴外北田三郎は、常に自己の監督する労働者の健康状態に注意し、発病した労働者に対し直ちに医師に診察を受けさせたり入院手続等の適切な措置を講ずる義務があり、また、同じく履行補助者たる同工場診察所(村山診療所)医師訴外幡谷助次郎は、同工場の労働者の健康を十分管理し、発病した労働者に対し万全の治療と必要な指示を与える義務があり、被告会社は、右訴外人らに対し、前記各義務を確実に履行するよう指示、監督する義務を負う。

(ロ) 村山工場における医療体制の実態

しかし、被告会社は、生産第一主義をとり、欠勤者に電話連絡をして強引に出勤を促すなど労働者が病気のため静養することさえ困難にし、また労働者が業務上災害を被つても私傷病扱いをするなどし、さらに社内診療所における治療等も極めて形式的かつ不十分なものである。

(ハ) 英男が発病した後の措置

(a) 英男は、昭和四三年一〇月一三日(日曜日)夜八時から翌朝六時までの深夜勤務に従事し、同月一九日(土曜日)にも夜八時から翌朝までの深夜勤務に従事したが、平素の夜勤等による疲労が蓄積して同月一九日に風邪気味となり、右夜勤明けの翌二〇日は村山寮で寝ていた。しかし、前記のとおり被告会社が欠勤を極端に嫌つていたので、英男は、同月二一日無理をして出勤し、そのために病状を悪化させ、同日午後三時ころ職場で倒れた。従つて、英男の右発病が業務上災害であることは明らかである。

(b) 英男は、前記吉沢係長により村山診療所に運ばれ、前記幡谷医師の診察を受けたところ、40.5度の高熱であつたのであるから、同医師は当然英男を入院させるべきであつた。それにもかかわらず同医師は、感冒と診断して単に注射をし、薬を与えただけで英男の入院措置を講じなかつた。そして、吉沢係長がトラツクで英男を村山寮に運んだ。

(ニ) まとめ

被告会社ならびにその履行補助者たる吉沢係長、北田組長および幡谷医師は、前記(イ)の義務があるにもかかわらず、同(ハ)のとおりこれを懈怠し、その結果、英男の病状を悪化させ、さらに後記(3)の義務の懈怠と相俟つて本件事故を発生させたのであるから、被告会社は債務不履行責任を免れない。

(3) 村山寮における看護義務

(イ) 被告会社の義務

社員寮は住居確保の困難な現在の社会情勢のもとで労働者が安心して労働に従事できるようにするため使用者が提供する福利条件の一つであり、しかも、村山工場社員寮(村山寮)は独身寮であるから、被告会社の履行補助者たる村山寮管理人訴外桑原幸一は、いわば親代わりになつて、寮に寄宿する労働者の生活や身体を十分保護し、発病した労働者に対しては十分な看護を行い、必要に応じて入院手続等適切な措置を講ずる義務があり、被告会社は、右訴外人に対し、右義務を確実に履行するよう指示、監督する義務を負う。

(ロ) 村山寮の管理の実態

ところが、村山寮は社員寮の本来あるべき姿とは全く異なり、労働者の身柄を工場施設内に事実上二四時間おいて他との接触を遮断し、労働者の全生活をその統率下において、被告会社の前記苛酷な労働条件下の生産体制の一翼を担う役割を演じていた。そして、桑原管理人は、親代わりになつて労働者の生活や身体を十分に保護する役割を全く放棄していた。

(ハ) 英男に対する看護状況

(a) 桑原管理人は、昭和四三年一〇月二一日、幡谷医師および吉沢係長から十分な引継ぎを受けずに英男を引き取り、英男の病状が悪化しているのにそのまま英男を放置した。

(b) 桑原管理人は、翌二二日、英男が医者にかかりたい旨申し出たので幡谷医師に連絡をとつたが、同医師は、一一時二〇分に来るように回答しただけで往診をしなかつた。そこで桑原管理人は、村山診療所の指定医師訴外指田和明に連絡をとつたところ、同医師は、同日午後三時四〇分ころ来診して英男を診察し、体温が39.6度あつたので解熱剤の注射をして帰つた。

(c) 桑原管理人は、指田医師に対し英男の病状について十分説明することを怠つたため、同医師から適切な指示を受けることができなかつた。

(d) 単身病臥中の英男は薬を殆んど服用できず、四〇度前後の高熱があつたのに、英男の寄宿していた部屋には毛布があるだけで蒲団は一枚もなく、敷布は汗のため非常に濡れていた。しかし桑原管理人は、英男に対し十分な看護をせず放置したため、英男の病状の急変に対処できず、英男を死亡させた。

(ニ) まとめ

被告会社およびその履行補助者たる桑原管理人は、前記(イ)の義務があるにもかかわらず、同(ハ)のとおり右義務を懈怠し、その結果、本件事故を発生させたのであるから被告会社は債務不履行責任を免れない。

(4) 以上のとおりであるから、被告会社は、本件労働契約上の債務不履行により生じた後記損害を賠償する義務がある。

(二) 民法七〇九条の責任

被告会社が、本件労働契約上の義務として、前記(一)の(1)の労働者に対し苛酷な勤務をさせないようにし十分な健康管理をすべき注意義務、同(2)の疾病者に対し入院等適切な措置を講ずべき注意義務、同(3)の村山寮において十分な看護をすべき義務を負担することは、前記のとおりである。そして、被告会社が多数の労働者を雇傭する大企業であることを考慮すると、前記労働契約上の義務の存否にかかわらず、被告会社は、社会の通念に照らし、一般社会人として、自己の雇傭する労働者に対し、前記程度の注意をするべき義務を負うことが明らかである。しかるに被告会社は、過失により右の義務を怠り、これにより本件事故を発生させ、後記損害を発生させるにいたつたのである。

してみれば、被告会社は、民法七〇九条により、右損害を賠償する義務がある。

(三) 民法七一五条の責任

被告会社の被用者である前記吉沢係長、北田組長、幡谷医師、桑原管理人が、被告会社の本件労働契約上の義務の履行補助者として、前記(一)の(1)ないし(3)の義務を負担することは、前記のとおりである。しかし、右吉沢らが大企業である被告会社の前記地位にあることを考慮すると、右義務の存否にかかわらず、吉沢らは、社会の通念に照らし、一般社会人として、自己の接する労働者に対し、前記程度の注意をする義務を負うことが明らかである。

しかるに吉沢らは、過失により右義務の履行を怠り、本件事故を発生させるにいたつたのである。そして、右事故は吉沢らが被告会社の業務を執行中に発生したのであるから、被告会社は民法七一五条により、これにより生じた後記損害を賠償する義務がある。

4  損害<以下省略>

理由

一請求原因1の事実、ならびに同2の事実のうち訴外亡久保田英男が昭和四三年一〇月二一日勤務中に倒れたことおよび英男の死体発見時刻を除くその余の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。<排斥証拠略>

1  被告会社村山工場における安全衛生対策、村山診療所、村山寮について

(一)  被告会社は、資本金約四〇〇億円(昭和四三年当時)の自動車製造販売会社で、村山工場のほか数か所の工場を有している。村山工場には、従業員が約七、〇〇〇名(同年当時)おり、工場敷地内に診療所(村山診療所)と従業員寮(村山寮)がある。

(二)  村山工場には、総務部の中に安全衛生管理課がある。同課は、安全衛生、環境衛生、作業条件等の調査をし、従業員に対し、安全衛生規則(<書証>)、同基準、同一般心得(<書証>)、安全作業の心得(<書証>)等に基づいて安全衛生教育を実施している。また、同課は、従業員の健康管理に関する計画、立案を行い、さらに、労働災害に関する業務を担当し、安全衛生ニュース(<書証>)等のパンフレツトを発行して、労働災害の発生防止に努めている。

そして、安全衛生に関し、月一回、総務部長、工務部長、製造部長で構成する安全管理者会議、各課長で構成する安全担当者会議がそれぞれ開催されている。

(三)  昭和四三年当時、第二製造部組立課組立係長であつた訴外吉沢元春は作業指導要領書に基づいて各組長に対し作業、生産、安全各管理について総括的説明をし、各組長が、作業員に対し作業工程、安全衛生等について具体的説明をしていた。

(四)  村山診療所は、安全衛生管理課が従業員の健康管理について行つた計画を実施している。即ち、同診療所は、従業員の就業時間中の傷病に対する治療、労働基準法に規定された雇入れの際の健康診断、定期の健康診断(年に春、秋の二回)、再検査、特殊作業者を対象とした特殊健康診断、成人病対策としての胃腸検診等を実施している。右定期健康診断は、胸部レントゲン撮影、打聴診、体重・身長・胸囲の測定、視力検査等が主たるものであるが、他にアンケートも行い、その結果精密検査の必要がある者を選別している。なお、右定期健康診断には一か月間を要し、また、同診療所の平素の利用者は一日平均七〇名ないし八〇名である。同診療所には、常勤の医師(所長)一名と非常勤の医師(村山診療所の医師)四名のほか看護婦と看護士がおり、夜間も夜勤者のために看護士が常駐している。しかし、往診は原則として行われておらず、また、入院体制が不備のため、入院を必要とする患者は、被告会社の指定医である村山診療所および大和病院に送られている。

(五)  医師訴外幡谷助次郎は、昭和四三年四月村山診療所長に就任したが、村山工場の衛生管理者でもあつたので、医師として従業員の健康診断、治療等に従事していたばかりでなく、衛生管理者として、被告会社に対し、夜勤者用の仮眠室の設置や健康状態不良の従業員を夜勤に従事させるべきでない旨の勧告をしていた。

(六)  村山寮は、独身寮が六棟(一号館から六号館まで)のほか家族寮が一棟ある。そして、各棟毎に人事課寮務係の監督を受けている管理人が一名おり、管理人は、入寮者に対し、寮管理規定(<書証>)および入寮の栞(<書証>)に基づいて寮生活上留意すべき健康、防疫、防災等について指示・説明をする。独身寮六号館は、鉄筋コンクリート五階建で、昭和四三年当時約一八〇名の従業員が入寮していた。

2  村山工場における労働条件等

(一)  村山工場は、旧プリンス自動車工業株式会社の工場であつたが、昭和四一年八月右会社が被告会社に吸収合併されて以後、被告会社の工場として引き継がれた。

村山工場では、昭和四二年二月ころから昼勤と夜勤の二交替制勤務体制が実施された。そして、以後、労働時間は、昼勤は実働一日8.8時間(月曜日から金曜日までは残業二時間を含む実働九時間、土曜日は残業一時間を含む実働八時間)、夜勤は実働一日8.5時間(月曜日から水曜日までは二時間の残業で実働九時間、木曜日から土曜日までは一時間の残業で実働八時間)となり、従業員の約三分の二が二交替制勤務に従事している(以上の事実は、当事者間に争いがない)。

(二)  休日出勤は毎月あるわけではないが、夜勤に従事する週は、日曜日の夜から出勤しなければならないことになつている。なお、夜勤者のための仮眠室は設置されていない。

(三)  右の労働時間等の労働条件は、被告会社と日産自動車労働組合(村山工場の従業員の殆んどがこれに加入している)との間で協議して決定されたものであり、日産自動者労働組合に加入している従業員に対しては適用されているが、全国金属東京地本プリンス自動車工業支部所属の約一〇〇名の従業員に対しては適用されていない。

(四)  村山工場では、プレミアム制度(生産奨励金制度)のほか団体責任制が設けられ、また、各組毎に出勤率表、直接率表(全労働時間中実労働時間の占める割合を表わす)、工率表(作業能率を表わす)、ZDグラフ(欠陥製品の割合を表わす)が貼られ、組長がこれに記入するなど、生産、能率向上運動が展開されている(以上の事実は、当事者間に争いがない)。そして、従業員の無断欠勤は禁止され、無断欠勤をした従業員に対しては、組長や寮管理人を通じて欠勤理由の問合わせがなされている。しかし、病気で静養中の者に対してまで出勤を強要することはなかつた。

(五)  村山工場では、昭和四二年の一年間に自動車生産台数が2.5倍ないし3倍に増加した。しかし、この間に従業員数も約1.5倍に増加したほか、新しい機械設備の導入、三鷹工場を閉鎖してこれを村山工場に移管するなど大幅な生産合理化が行われた。

3  村山工場における労働災害

(一)  村山工場では、昭和四二年春ころから業務上災害が激増し、とりわけ若年労働者に多く発生した。被告会社は、災害多発警報を出し、各部長に安全対策強化を要請し、また、安全管理者に工場内を巡視させるなど労働災害の発生防止対策を講じたが、災害発生率を低下させるまでにはいたらなかつた。

(二)  しかし、昭和四二年ないし同四三年ころは、経済界の景気回復期にあたり、各企業とも増産体制にあつたため、全国的に労働災害発生率が上昇した。

4  英男の発病前の勤務状況と健康状態

(一)  英男は、幼少のころから極めて健康であり、中学校時代には柔道部の選手として活躍し、在学中も殆んど無欠席であつた。

(二)  英男は、高等学校三年生のとき被告会社へ入社することが内定した。被告会社は、昭和四三年二月ころ、新規採用内定者の父兄を対象として会社の概要に関する説明会を開催した(右説明会開催の事実は、当事者間に争いがない)。その際、被告会社の担当者は、父兄に対し、安心して子供を任せて欲しい旨述べた。

(三)  英男は、同年三月二五日に村山寮(独身寮六号館四階四一四号室)に入寮し、同日から同月三〇日まで被告会社の厚生センターで研修を受け、同月二七日の適性検査の結果、村山工場第二製造部組立課に配属された。そして、英男は、同年四月二日から四日までの実習を終わつた後、直ちに現場勤務となり、翌週四月八日からは毎日一時間の残業を行い、四月一五日から後記発病にいたるまで、昼勤、夜勤とも一時間ないし二時間の残業(その結果、勤務時間は、昼勤の場合は朝八時三〇分から夜五時三〇分ないし六時三〇分まで、夜勤の場合は夜八時ないし九時から翌朝六時まで)のある二交替制勤務に従事していた(五月からは、夏休みのあつた八月を除いて毎月四〇時間以上の残業を行い、特に、九月は四八時間、死亡した一〇月は約半月で二六時間の残業を行つていた)。しかし、英男は入社以来発病にいたるまで無欠勤であつた(以上の事実は、四月一五日から発病にいたるまでの残業時間が一時間ないし二時間であつたことを除き、当事者間に争いがない)。なお英男が入社した後死亡するにいたるまでの勤務状況は別表2のとおりである。

(四)  英男は採用内定時の昭和四二年五月三〇日と採用時(春の定期健康診断を兼ねる)の二回にわたり被告会社の健康診断を受けたが、いずれも異常は認められなかつた。秋の定期健康診断は同四三年一〇月二二日実施されたが、英男は発病したため受診できなかつた。

(五)  英男は、夜勤に従事するようになつて以来、食欲不振になり体重も減少し、帰省した際家族に対し夜勤のため疲れる旨訴えていたが、同年七月ころ社内旅行に参加して海で泳いだこともあつた。

5  英男が発病した後死亡するにいたるまでの経過

(一)  英男は、同年一〇月一九日に風邪気味であつたため夜勤を休み、翌二〇日(日曜日)は村山寮で静養していた(右事実は、当事者間に争いがない)。六号館管理人訴外桑原幸一は、夜勤から帰寮しているはずの同日午前八時ころになつても、英男の名礼が離寮を示す赤文字になつたままであることを不審に思い、英男の部屋である四階の四一四号室を訪ね、英男が風邪のため夜勤を休んだことを知つた。桑原は英男に容態を尋ねたところ、英男は風邪気味であるが朝食はとつてきたと言つていた。

同日午後五時過ぎころ、点灯の途中、桑原が英男の部屋に立ち寄つたところ、英男はベツトに横になつていた。桑原が容態を尋ねたところ、英男は、風邪であるし医者はいらないと答えた。そして、同日午後六時過ぎころ、英男が一階の管理人の事務室に立ち寄つた際、桑原は管理人室にあつた市販の風邪薬を英男にのませたが、その後、消灯の途中、英男の部屋に立ち寄ることはしなかつた。

(二)  英男は、同月二一日朝無理をして出勤した(英男が同日出勤したことは、当事者間に争いがない)。桑原は、その後、消灯の途次、英男の部屋に立ち寄り、英男が出勤したことを確認した。

組立課組長訴外北田三郎は、昼休みに休憩所で休憩していた英男の顔色がすぐれないのに気付き、英男に体の具合を尋ねたところ、英男は風邪気味である旨答えた。北田組長は、英男に医師の診察を受けさせたほうがよいと考え、同課係長であつた前記吉沢元春に頼んで英男を村山診療所に連れて行つてもらつた(吉沢係長が英男を同診療所に連れて行つたことは、当事者間に争いがない)。

(三)  同診療所の医師であつた前記幡谷助次郎が英男を診察したところ、体温は40.1度、脈博は九二であつたが、咽頭部が少し赤い程度で、打聴診によつても肺、心臓、腹部等に異常は認められなかつた。また、同医師が英男に既往症や現在の症状について問診したところ、英男は、結核に罹患したことはない旨答え、現在の症状として全身の倦怠感、頭痛、めまい、悪感、食欲不振を訴えた。そして、英男の顔面は蒼白であつた。同医師は、右診察結果と吉沢係長の説明で知り得た同診療所に英男を連れてくるまでの経過から、英男の病名を感冒と診断し、対症療法として、サイアジンの静脈注射をし、食後一日三回服用の薬(クロマイセチンとアスピリン・検甲第一号証の一ないし三)を二日分与え、さらに、英男に対し、「翌日熱が下らない場合には、病院に行きなさい。」と注意し、吉沢係長に対しては、英男は四〇度の高熱があるから、自動車で寮まで連れて行き、寮管理人に氷枕をさせるように指示した(以上の事実のうち、幡谷医師が英男を感冒と診断して注射をし薬を渡したことは、当事者間に争いがない)。

(四)  吉沢係長は、同日午後三時ころ英男を村山寮に自動車で連れて行き(この事実は、当事者間に争いがない)、桑原管理人に対し、英男は高熱があるから頭部を冷やし診療所で与えられた薬をのませるように伝えた。

(五)  桑原管理人は、直ちに英男を前記四一四号室に連れて行つて寝かせ、事務室の電気冷蔵庫で製氷した氷を入れた氷枕をさせ、薬をのませた。その後、同管理人の補助者であつた妻訴外桑原千代乃は、午後六時ころ英男の部屋に行つて氷枕をかえ、さらに、午後九時ころ再び氷枕をかえるとともに、かゆ・みそ汁・梅干の食事を持参して食べるよう勤めた。桑原管理人は食事の後片付けをするため午後九時三〇〇分ころ英男の部屋に行つたが、英男はみそ汁・かゆ約半分を食べただけで他には手をつけていなかつた。桑原管理人は英男に薬をのませ、その後午後一一時ころ消灯のため巡回した際にも英男の部屋に立ち寄つたが、特に異常は認められなかつた。

(六)  桑原管理人は、翌二二日午前八時三〇分ころ氷枕をかえるため英男の部屋に行つたところ、英男が熱つぽい顔をしていたので、医者に診察してもらうように勧めた。英男は、午前一〇時三〇分ころ一階の管理人室まで降りてきて、同管理人に対し、医者に行きたいと言つた。同管理人が村山診療所に診療予約を依頼するため連絡したところ、一一時二〇分に診療所に来るようにとの回答であつた。しかし、同管理人は、英男の体温を計ると三九度あつたので、同診療所まで出向くのは適当でないと判断し、村山工場の従業員が平素よく利用していた指田医院に往診を依頼した。その間、英男は、同管理人から出されたリンゴジユース一本を飲んだ。

英男は自室に戻り、ベツトに横になつて静養していた。そして、英男は、同日午後二時ころ英男の部屋に氷枕をかえるため来た管理人の妻に対し「食事はいらない。」と言つていたが、英男が同日の朝食・昼食をとつたか否かは全く判明しない(以上の事実のうち、同管理人が幡谷医師に連絡した後指田医師に往診を依頼したことは、当事者間に争いがない)。

(七)  医師訴外指田和明は、同日午後三時三〇分ころ村山寮に赴き、桑原管理人から英男の病状、前日の治療経過の概要等を聞いた後、英男を診察した。体温は39.6度あつたが、咽頭部が少し赤い程度で、打聴診、触診・問診によつても内臓等に特に、異常な点は認められないと同医師は判断し、英男の病名を急性上気道炎と診断し、解熱剤オベロンを皮下注射した。そして、同医師は、寮には英男の同僚や桑原管理人がいることでもあり、英男を看護してくれるのであるから入院させる必要はないものと考え、英男に対し「楽をのんで安静にしていなさい。」と注意した。また、同医師は、同管理人に対しては、三九度の高熱があるから頭部を冷やして安静にさせ、栄養のある柔らかい食物を与え、薬を指定された時間どおりにのませ、体温を計るよう指示し、さらに病状が急変するようなことがあれば連絡するように指示し、「後で薬をとりに来なさい。」と言つて帰つた(以上の事実のうち、指田医師が英男を診察し、体温が39.6度あつたので解熱剤を注射して帰つたことは、当事者間に争いがない)。

(八)  桑原管理人は、指田医院に赴き、毎食後に服用させる散薬二日分と、六時間毎に服用させる錠剤(クロロマイセチンとタオシンを主成分とするクロオン)二日分を受領して帰寮した。そして、同管理人は、同日午後五時ころ英男の部屋に行き、右の錠剤一錠をのませた後、汗で濡れた英男の下着を着換えさせ、濡れた敷布を乾いたバスタオルととりかえた。

北田組長は午後八時ころ英男を見舞つたところ、英男は何も食べたくないと言つていた。同組長は、英男に対し、何かあつたら隣室の者や管理人に連絡するように注意し、桑原管理人にも英男の看護を依頼して帰つた。

桑原管理人は午後八時三〇分ころ容態をみるため英男の部屋に行つたが、英男は「何も食べたくない。」と言つていた。また、同管理人が午後一〇時三〇分ころ消灯のため巡回しながら英男の部屋に立ち寄つた際にも、英男は、「便所で吐いてきた。薬はのみたくない。」と言つていた。

(九)  前記指田医師の指示によれば、午後一一時は第二回目の錠剤を英男に服用させる時刻であつたが、桑原管理人は右の時刻に錠剤を服用させるべく努力をしなかつた。そして、同日は英男の同室者である訴外萩原正通が夜勤であり英男は一人で夜を過ごさなければならない状況にあるのに、同管理人は、同僚を英男と同室させる等の配慮をしなかつたし、また、近くの在室者に英男の容態を説明しその動静に注意してくれるよう協力を求めることもしないで、英男を前記四一四号室に一人残したまま退室した。

なお同管理人は、翌二三日午前二時三〇分ころ英男の容態を見るため四一四号室に立ち寄つたところ、英男が眠つていたのでそのままにして管理人室に戻つたが、第三回目の錠剤服用時刻である同日午前五時ころに英男に錠剤を服用させるよう配慮しなかつたし、英男の部屋を訪ねることもしなかつた。

(一〇)同日午前七時三〇分ころ桑原管理人は英男の部屋を訪れたが、英男は在室していなかつた。他方、前記萩原が同日午前七時ころ夜勤から帰寮した際に、英男は在室していなかつたが、萩原は英男が便所に行つたのであろうと思い気にとめなかつた。ところが、時間が経過しても英男が帰つてこないので、萩原は、不審に思い、同僚の部屋に遊びに行つたのではないかと考えて探した。しかし、英男の姿が見当らないので、萩原は、管理人室に行つたのであろうと思い四一四号室に戻つたところ、前記英男を訪ねてきた桑原管理人と顔を合わせた。そこで、事情を知つた桑原管理人および萩原らは、いよいよ不安になり、一号館管理人や夜勤から帰寮した同僚の応援を求めて英男を探しまわつた。そして、桑原管理人らは、同日午前七時五五分ころ、六号館四階便所の扉の下から赤いドテラの裾が見えたので扉をこじ明けたところパンツを半分下げ前のめりになつている英男を発見した。桑原管理人らは急ぎ人工呼吸を行い同日午前八時過ぎころ被告会社の救急車で英男を国立村山療養所へ運んだ。しかし、右救急車で運ぶ際、英男の手足は冷え、呼吸および心臓はすでに停止していた。

(一一)  村山療養所では、英男が運び込まれた際すでに死亡しており、死亡診断書を書くことができないため、所轄立川署に連絡をして事情を説明した。立川署からは警察医訴外川野秀夫が派遣され、英男の遺体は同医師により死体検案がなされた。川野医師は死体解剖を行わなかつたが、死体に外傷・眼瞼血膜溢血点がないという全身所見と、英男の発病から死亡にいたる経過につき関係者から聞いた説明とを参考にし、死因を急性気管支肺炎と診断して死体検案書(<書証>)を作成した(以上の事実のうち、英男が二三日に村山寮六号館四階便所で発見され、死体検案の結果、死因が急性気管支肺炎と診断されたことは、当事者間に争いがない。)

(三) 英男が死亡した昭和四三年当時における医学の水準によれば、担当医師から指示された抗生物質を指示されたとおり正確に服用しておれば、肺炎で死亡する蓋然性は極めて少ない状況にあつた。また、前記二三日当時、通常予想される医学的処置を施しても、結局、英男死亡の結果を惹起するのやむなきにいたる状況にあつたことを認めるに足りる資料は全く存在しない。

三原告らは、被告会社が英男を苛酷な勤務に従事させ、しかも十分な健康管理を行わなかつたため、英男が風邪に罹患した旨主張するので、まずこの点について検討する。

<証拠>によると、夜勤は反生理的労働であり、昼勤に比べると、労働者に対しより強度な疲労を与え、さらに、二交替制勤務を継続すると、労働者は自律神経に変調を来たし、食欲不振のみならず胃腸障害に陥り、疲労が蓄積して病気に対する抵抗力も低下する可能性が大きいことが認められる。

右のような二交替制勤務が労働者の健康に及ぼす影響に鑑みると、被告会社が従業員の健康管理に最善を尽くし健康診断の回数もできるかぎり増やすことが望ましいことはいうまでもない。しかし、被告会社は前記二の1で認定したとおり従業員の健康管理に留意し措置をしていたことが認められるのであつて、被告会社の右措置は十分であるとはいえないまでも従業員である英男の健康管理に必要な最低限の措置は講じていたものとみるのが相当である。

また、前記認定の事実によると、村山工場では昭和四三年当時自動車の生産台数とともに労働災害の発生件数も増加していたが、右自動車の生産台数増加は生産合理化にもよるものであつて従業員の勤務内容が加重されたことのみによるものではないといえるし、右労働災害の発生件数増加が勤務の負担過重に起因することを認めるに足りる的確な証拠はない。そして、前記認定にかかる村山工場での労働条件の決定方法(被告会社と日産自動車労働組合が協議のうえ決定する)とその内容、英男の勤務内容等に照らすと、英男の従事していた勤務は、健康を破壊させるほど苛酷でかつ不当なものではなかつたものといわざるを得ない。

してみると、被告会社に原告ら主張の前記事実摘示欄の第二の一の3の(一)の(1)の債務不履行はなかつたものといわなければならない。

なお付言するに、右の二交替制勤務が労働者の健康に及ぼす影響と、前記認定にかかる英男の従事していた勤務の内容、英男の勤務状況および健康状態(殊に発病した昭和四三年一〇月およびその前月の九月について)等を合わせ考えると、英男は、村山工場で二交替制勤務に従事した結果、発病する直前の同年九月から一〇月にかけて体力が多少消耗していたことが推認できる。しかしながら、本件において、英男と概ね同一の条件で稼働していた従業員の中に、平素の勤務の負担過重による疲労蓄積が原因で発病した者が多数存在したことを認めるに足りる証拠はないし、また、英男が発病する直前に疲労憔悴し勤務に服することが耐え得ない状態にあつたことを認めるに足りる証拠もない。これらの点から考察すると、前記の二交替制勤務が英男発病の一原因であるとしても、この発病と右二交替制勤務との間に相当因果関係があつたものとは到底いい得ない。

四原告らは、前記の事実摘示欄の第二の一の3の(一)の(2)記載のとおり主張する。

しかしながら、前記認定にかかる英男の発病時期、症状、診断結果、村山診療所の規模、北田組長、吉沢係長および幡谷医師が英男に対し講じた各措置の内容等に照らして考察すると、右三名の講じた措置はいずれも適切なものであつて、被告会社に原告ら主張の債務不履行はないというべきである。

してみれば、原告らの前記主張は失当である。

五次に原告らは、事実摘示欄の第二の一の3の(一)の(3)のとおり主張し、被告会社に本件労働契約上の債務不履行があると主張するので、この点について判断する。

前記の二の5で認定した事実によれば、次のことが明らかである。

1  英男は、昭和四三年一〇月一九日(土曜日)には感冒にかかつていたので夜勤を休み、翌二〇日(日曜日)は寮で静養し、二一日(月曜日)には無理をして出勤したが、結局、40.1度の高熱を出し診療所で診療を受けた後午後三時ころ帰寮し、翌二二日(火曜日)には指田医師の往診を受けたが病状は好転せず、二三日(水曜日)午前七時ころ死亡するにいたつた。

2  英男が感冒にかかつた一〇月一九日の朝食から二一日の昼食までの間、どの程度の食事をとつたかは明らかでない。しかし、英男は、二一日午後三時ころ前記診療を受けて四一四号室に帰つて後は、同日午後九時過ぎころみそ汁と茶腕半分位のかゆを食べ、翌二二日午前一〇時半ころリンゴジユース一本を飲んで、食事は全くとつていなかつた(前記のほかに食事をとつたことを認めるに足りる証拠はない)。

このため栄養補給が十分でなく、英男の体力はかなり衰弱していたであろうことは容易に推察される。また、二一日午後の前記診療所での検温の際は体温は40.1度、二二日午前一〇時半の検温の際の体温は三九度、同日午後三時半ころ指田医師が検温した際の体温は39.6度であつて、いずれもかなり高熱であり、英男が「食事はとりたくない。便所で吐いてきた。」などと、桑原管理人およびその妻に述べているところと合わせ考えると、この高熱の面からも、英男の体力は相当に衰弱していたであろうことが推察される。

3  桑原管理人は、指田医師から抗生物質である前記錠剤(クロタオン)一錠あてを六時間毎に服用させるよう指示を受けていたのに、二二日午後五時ころに最初の一錠を服用させただけで、その後は、英男に錠剤を服用させていない。もつとも同日午後一〇時半ころ英男は「便所で吐いてきた。薬はのみたくない。」と同管理人に述べているのであるが、前記のように高熱が続く際には、医師の指示に従い抗生物質(錠剤)を指示された時刻に正確に服用させなければ高熱を下げ病状を好転させることができないことは明らかである。そして同管理人もこの点を十分に認識していたのであるから(寮管理人はこの程度の認識をもつべき義務があることはいうまでもない)、英男が錠剤を服用することを拒んだ場合には、適当な時刻をみはからい再度これを服用させるよう努力をすべきであるのに、この努力をしなかつた。また、このような努力をしてもなお錠剤を服用させることができない場合には、栄養補給不足と高熱のため英男がすでに相当衰弱している点を考慮し、前記往診した指田医師に連絡しその指示を受けて行動をするべきであるのに、同管理人はこのような措置をとることもしなかつた。そして、同管理人は、翌二三日午前二時ころに英男の部屋を訪れただけで、第三回目の錠剤服用時刻である午前五時ころに英男の部屋に出向き前記錠剤を服用させるよう努力することもしなかつた。

4  英男は指田医師の往診を受けた二二日夜にはすでに三九度を超す高熱が一日以上続いており、食事は前記かゆ、みそ汁とリンゴジユースを除き二日間殆んどとつていないのであつて、前記のように英男はかなり衰弱した状況にあつただけでなく、同日夜は英男と同室の萩原が夜勤のため出勤して不在にする日であつた。

してみれば、英男のいた四一四号室(四階)から相当離れた管理人室(一階)にいた桑原管理人としてはこれらの点を考慮し、英男の病状が悪化するかも知れない万一の緊急事態に備え、同僚を英男と同室させるか、少なくとも近くの在室者に英男の病状を説明しその動静に注意してくれるよう協力を依頼し、万一、英男の病状に変化がみられたときには、直ちに管理人に連絡することができるよう措置をし、病状によつては管理人から指田医師に連絡し指示を受けて行動することができる態勢にしておくよう配慮するべきであつたのに、これらの措置をとることなく、前記衰弱した状況にある英男を一人で四一四号室に残したまま退室した。もつとも、桑原管理人は翌二三日午前二時半ころには英男の容態をみるため四一四号室に立ち寄つたが、その後は後記英男発見にいたるまで同室に立ち寄ることもなく、英男の病状を常時把握することができるよう配慮することもしなかつた。

5  ところで、前記の二の1で認定した事実によると、村山寮は、被告会社の事業運営に密接不可分な関連性を有する労働基準法にいわゆる「事業の付属寄宿舎」ではなく、被告会社の福利厚生施設として建設された共同住宅といわざるを得ない。しかしながら、前記認定のとおり、村山寮は村山工場の敷地内にあつて、そのうち五棟が独身寮であり、被告会社が村山寮に居住する従業員のうち無断欠勤をした者に対し寮管理人を通じ出勤を促していることに照らすと、村山寮は被告会社の事業運営に少なからず関連性を有しているものというべきである。そのうえ、英男は、高等学校卒業後初めて茨城県新治郡の親元を離れて寮生活にはいり、独身かつ未成年者であつた(この事実は、原告久保田長一、同久保田とよの各本人尋問の結果により認められる)。また、被告会社が新規採用内定者の父兄に対する説明会を開催した際、担当者が父兄に対し採用者の生命および身体の安全確保に十分努める旨述べていることは前記認定のとおりである。

このような村山寮の機能・目的・入寮者の年令等、前記の事実関係に照らして考察すると、被告会社は、寮の物的人的設備を整備し、仮に入寮者が勤務と関係のない原因に基づき発病した場合であつても(英男発病の原因が勤務に起因するかどうかについては立証がないが、英男が専ら自己の不摂生により発病したことについても立証がない)、入寮者との間の雇傭契約に附随する信義則上の義務として、入寮者が通常期待できる看護を受け療養することができるよう配慮するべき義務があると考えられる。従つて、寮設置者(被告会社)の履行補助者である桑原管理人は、前記認定の事実関係にある本件においては、担当医師指田の指示を忠実に守り前記錠剤(抗生物質)を指示されたとおり英男に服用させ、英男の病状の推移を適確に把握できる態勢を確立するよう措置し、病状悪化に際しては直ちに担当医師に連絡をしてその指示を受けて行動し、不測の事態発生を未然に防ぐことができるよう配慮をするべき義務がある。

6  しかるに、被告会社の履行補助者である桑原管理人は、前記のように、指田医師から指示された抗生物質(錠剤)を指示された時刻に英男に服用させる努力を怠り、英男が前記認定の状態のもとで第二回目以降の錠剤の服用を拒否しているのに指田医師の指示を受けて行動をするなどの措置をとることなく、さらに一〇月二二日は同室者(萩原)が夜勤のため一人で夜を過ごさなければならないことを知りながら、同僚を英男と同室させるなどの配慮をすることなく、近くの在室者に英男の容態を説明しその動静に注意してくれるよう協力を求めることもしないで、英男を前記四一四号室に一人で残したまま退室したのである。

してみれば、被告会社は、少なくとも右の点において、入寮者(英男)発病の場合に、入寮者に対しこれを看護し療養することができるよう配慮すべき前記義務(被告会社と英男間の本件雇傭契約に附随する信義則上の義務)を履行しなかつたといわなければならない。

そして、この点について、被告会社に過失がなかつたことについては立証がないから、被告会社は、右の債務不履行と相当因果関係にある損害について、その責を免れることはできない。

7  もつとも、桑原管理人ないしその妻は、英男が吉沢係長に連れられて診療所から帰寮した後、医師の指示に従い薬をのませて氷枕をさせ、みそ汁・かゆを持参して食べさせるようつとめ、英男のため汗でぬれた下着や敷布をとりかえ氷枕もとりかえてやり、また、英男の高熱を考慮して指田医師に往診を依頼し、再三にわたり英男の居室である四一四号室に立ち寄るなどの配慮をしているのであつて、英男を放置したものでないことは前記認定のとおりである。しかし、これらの諸点を考慮しても、なお同管理人が前記3および4の措置をとらなかつた点において、被告会社は英男に対する前記債務不履行についての責任を免れることはできないといわなければならない。

8  昭和四三年一〇月当時における医学水準に照らすと、担当医師の指示を忠実に守り抗生物質を指示された時刻に正確に服用させ、患者が服用を拒否したときは担当医師に連絡し入院をも含め適切な指示を受けて看護すれば、患者が肺炎で死亡することを阻止できる蓋然性が極めて高いことは、前記のとおりである。

また、桑原管理人が同僚を英男と同室させるか、少なくとも近くの在室者に英男の動静に注意するよう協力を求め、管理人との連絡態勢を確立する措置をとつていたならば、遅くとも英男が二三日朝に四一四号室を出て便所に赴く以前において英男の容態悪化の事態を把握し、直ちに指田医師に連絡してその指示を仰ぎ入院を含め適切な措置をとり得た蓋然性が極めて高いのであつて(のみならず桑原管理人が指田医師から指示されたとおり第三回目の錠剤服用時刻である二三日午前五時ころに右錠剤を服用させるべく四一四号室を訪ねていたならば、英男の容態悪化の事実を知り右の措置をとることが十分に可能であつたと推定される)、この措置をとつておれば、英男の死亡を阻止し得たであろう蓋然性は極めて高いと認められる(右のような措置をとつたとしても、なお英男の死亡を阻止することができなかつた点についての立証は、何もない)。

右のとおりであるから、被告会社の前記債務不履行と、英男死亡との間には、相当因果関係があるといわなければならない。

六英男が死亡により被つた損害の額について

1  英男が本件事故当時満一九才の男子であつたことは当事者間に争いがなく、英男が健康な青年であつたことは前記の二で認定したとおりである。そうすると、英男は、本件事故に遭遇しなかつたならば、今後四九年間(六七才まで)稼働することが可能であつたものと認められる。

そして、英男の生活費は収入の五〇パーセントであると認めるのが相当であるから、英男の年収から五〇パーセントに相当する金額を控除し、さらに、年五分の割合による中間利息をライプニツツ式計算方法により控除して英男の逸失利益を計算すると、その合計額は、別表3のとおり金八九三万四、一三九円になることが計数上明らかである。

2  前記認定の諸事実その他諸般の事情を斟酌して考察すると、本件事故により英男の被つた精神的苦痛に対する慰藉料は、金三〇〇万円が相当であると認められる。

3  ところで、前記の一および二で認定した事実によると、英男は、前記の五の2記載のように、高熱と食欲不振のためかなり衰弱していたであろうことは容易に推察される。しかし、この点を考慮しても、英男は未成年とはいえ当時すでに一九才であつて、十分に思慮分別のつく年令に達していたのであるから、桑原管理人の助力を待つまでもなく、医師の指示に従つて自ら薬を服用し自己の健康回復につとめるよう努力するべきであり、この努力をしてもなお薬を服用することができない場合には、その旨を管理人に申し出て担当医師に連絡してもらい、入院を含め適切な指示を受けることができるよう依頼をするべきである。また、二二日夜は前記萩原が夜勤で不在のため、英男は一人で夜を過ごさなければならない状況にあつたのであるから、その事情を管理人に説明し、容態悪化の場合には同僚を通じて管理人に連絡し管理人から医師に連絡することができるよう配慮してもらいたい旨の依頼をするべきである。そして、前記認定の事実によれば、二二日当時、英男はかなり衰弱していたとはいえ、管理人に右の依頼をすることができない程度に衰弱していたとは認められないのであるから、当時、管理人に前記の依頼をするなどの措置をとることを英男に対し期待することは、社会の通念に照らし、相当であると考えられる。しかるに、英男は、桑原管理人に対し前記の依頼をするなどの措置をとらなかつたのであつて、この点において英男にも過失があり、この過失も本件事故の一原因になつたものといわなければならない。

当裁判所は、諸般の事情に徴し、被告会社の過失と英男の過失との割合は、前者が七であり後者が三であると認める。

4  してみれば、前記1の逸失利益および2の慰藉料の合計額は金一、一九三万四、一三九円になるところ、これを前記3記載の割合で過失相殺をして計算すると、英男が死亡により被つた損害の額は、合計金八三五万三、八九七円(円未満切捨て)になる。

七原告久保田長一、同とよの請求について。

1  英男の死亡により英男の父である原告久保田長一および母である同とよの両名が英男を相続したことは、当事者間に争いがない。

従つて、右原告両名は、英男が死亡により被つた前記六の合計金八三五万三、八九七円の二分の一である各金四一七万六、九四八円(円未満切捨て)の範囲において、英男の前記逸失利益および慰藉料の損害賠償請求権を相続により承継取得したことになる。

2  右原告両名は、被告会社に対し、右の各金四一七万六、九四八円を請求し得るところ、弁論の全趣旨によると、右原告両名は、被告会社が右各金員を任意に弁済しないので、弁護士である本件原告ら訴訟代理人に訴訟の提起、遂行を委任したことが認められる。

そして本件事案の難易、前記請求認容額等本訴にあらわれた諸般の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係のある損害として右原告両名が被告会社に対して請求できる弁護士費用は、各金四一万円であると認めるのが相当である。

3  してみれば、原告久保田長一、同久保田とよの本訴各請求は、それぞれ、前記1の金四一七万六、九四八円と2の金四一万円の合計金四五八万六、九四八円および前記1の金四一七万六、九四八円に対する本件事故の発生した日である昭和四三年一〇月二三日から、前記2の金四一万円に対する本判決言渡の日の翌日である同五一年四月二〇日から各支払いずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるからこれを認容すべきであり、その余は失当であるからこれを棄却すべきである。

八原告東泰子、同久保田武万、同久保田理、同久保田和代の請求について。

1  原告東泰子および同久保田和代がいずれも英男の姉であること、原告久保田武万および同久保田理がいずれも英男の兄であることは、当事者間に争いがない。

2  同原告らは、被告会社と契約関係にあつた亡英男が死亡により取得した権利を承継取得したと主張するのではなく、被告会社の債務不履行により自己固有の権利として慰藉料請求権を取得したと主張する。しかしながら、右原告らが被告会社と契約関係にあつたことについては何ら主張立証をしないのであるから、右原告らが英男の死亡により精神的損害を被つたとしても、被告会社の債務不履行を理由に、これについて慰藉料を請求することができないことは明らかである。

してみれば、債務不履行を理由とする右原告らの請求は、その余の判断をするまでもなく失当である。

3  ところで、不法行為による生命侵害があつた場合に、被害者の父母、配偶者、子が加害者に対し直接に固有の慰藉料を請求し得ることは、民法七一一条が明文をもつて認めるところであるが、右規定はこれを限定的に解すべきものでなく、文言上同条に該当しない者であつても、被害者との間に同条所定の者と実質的に同視し得べき身分関係が存し、被害者の死亡により甚大な精神的苦痛を受けた者は、同条の類推適用により、加害者に対し直接に固有の慰藉料を請求し得るものと解するのが相当である。

本件についてこれをみると、<証拠>によると、次の事実を認めることができる。

(一)  英男の家族は、父原告久保田長一および母原告久保田とよが従事していた農業により生計をたてていた。そして、英男は、被告会社に入社するまで家を離れたことはなかつたが、兄弟仲は極めてよかつた。

(二)  原告東泰子(昭和一五年生)は、中学校を卒業後、家族と別居して茨城県土浦市内の洋服店に勤務し、その後結婚したが、英男は高等学校在学中右原告宅にしばしば立ち寄つた。

(三)  原告久保田武万(昭和一六年生)は、中学校を卒業後農業協同組合等に勤務しながら、英男の高等学校の学資を負担し、昭和四三年ころ結婚して家を離れた。

(四)  原告久保田理(昭和一八年生)は、中学校を卒業後勤務の都合上家を離れて上京したが、英男が被告会社に入社後、在京する唯一の兄弟としてしばしば英男に会つて激励していた。

(五)  原告久保田和代(昭和二一年生)は、中学校を卒業後原告東泰子が勤務していた洋服店に勤務したことがあり、その後、結婚して家を出た。

右認定した事実関係のもとでは、原告東泰子、同久保田武万、同久保田理、同久保田和子が英男の兄および姉として英男に対し極めて強い親近感をもつていることは容易に推察することができるけれども、さらに進んで同原告らが英男の父母と実質的に同一視すべき立場にあつたものとは到底認めることができない。

してみれば、前記原告らが兄姉として英男の死亡により甚大な精神的衝撃を受けたであろうことは容易に推察することができるけれども、右原告らが、民法七一一条を根拠に、被告会社に対し、英男の死亡により被つた精神的損害について慰藉料を請求することはできないものといわなければならない。

右のとおりであるから、不法行為を理由とする右原告らの請求は、その余の判断をするまでもなく失当である。

九よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(栗山忍 土田勇 飯田敏彦)

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